出版事業

100歳少年イメージ

100歳少年 新幹線誕生の本当のはなし

大平拓也
1100

内容紹介

「100 歳になったら本を出す」。
そう言っていた父は、2022 年の11 月、98 歳で他界しました。
父には本当に面白いエピソードがたくさんあって、いろいろな話を聞かせてくれました。
「何があるかわからないから、早く出版しよう」と父を説得し、何度かインタビューを受けたのですが、本の完成を待たずに逝ってしまいました。

本題である新幹線の話、若手の頃の東海道新幹線から、担当理事として指揮をとった上越新幹線、特に消雪装置の裏話や、駅を決めるにあたっての田中角栄さんとのやりとりなど、面白い話がたくさん聞けるはずだったのですが。

新幹線が誕生したのは東京オリンピックの開催にあわせて計画が進められた国家プロジェクトという認識がある方が多いと思いますが、事実は違うのです。
最初から関わっている父のような人たちはみんなお亡くなりになっているので、最初の事情を知る者は父ぐらいしかいなくなっていました。

この本の1 章には、父にインタビューした内容をまとめています。
2 章では、父が20 年以上前に執筆して掲載された記事を転載していて、新幹線のほんとうの歴史が語られています。

父は土木技術者には珍しく、たくさんの発明をしました。
20 台の前半の若い頃、鉄道橋をかけるための架設機を発明して、その機械が後々改良、発展して、昭和天皇から紫綬褒章いただきました。

父は本当に少年のような気持ちで技術の世界を冒険していたのだなと感じます。

(本書より)

 

目 次

第1章 大平拓也インタビュー

少年拓也

・文武両道
・中学でも文武両道

青年拓也

・高校選び
・高校時代
・大学時代

国鉄時代

・入社
・最初の仕事
・橋梁工事
・新工法
・札幌への異動
・本社での提案

息子より

 

第2章 新幹線物語-誕生と日進月歩の歴史-

今や“ シンカンセン” は世界共通語!
東京・大阪間3 時間への挑戦が始まった…
総裁の英断広軌新幹線に
東京五輪前開通が至上命題
踏み切りのまったくない鉄道に
世界銀行から1 億ドル調達
ついに開通! でも、トラブルも
山陽東北、上越では固定道床を導入
「時速300km、空気抵抗への挑戦!
高速化の壁となった小さなカーブ半径
上越では豪雪を完全に克服
「国鉄からJR へ移行、新幹線構想も変化
在来線から新幹線への乗り入れが可能になるかも!?
リニア新幹線への期待と問題点
「太平洋ベルト地帯で実現した夢

著者について

大平拓也

1947 年、京都大学工学部土木工学科卒業。同年、日本国有鉄道入社。
1959 年、 新幹線総局工事二課課長補佐に就任。
1964 年、 国鉄より日本鉄道建設公団に移籍。
1971 年、 日本鉄道建設公団本社新幹線部長。
1974 年7 月、 大阪支社社長に就任。
1976 年、 本社に戻り新幹線担当の理事に就任。
1980 年、 西松建設( 株) 入社、1998 年、 専務取締役で退任。
1984 年、 京都大学工学博士。
1999 年、9 月より ( 株) ティーネットジャパン顧問。
1973 年 紫綬褒章受賞
1988 年交通文化賞受賞
1999 年 勲四等瑞宝章受賞

書籍の情報

オンデマンド、Kindle
発行 2023年8月30日